天寧寺(金森宗和の墓所)
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天寧寺(金森宗和の墓所)

■概要
天寧寺(てんねいじ)は曹洞宗のお寺で元は、会津若松の城下にあった寺ですが天正年間(1573~1592)に天台宗の松陰坊があったこの地に移転されたと伝えられております。一番の見所は、山門を通して見える比叡山が印象的で、比叡山を額縁に入れたかのように見えるため「額縁門」と呼ばれています。金森宗和の墓所は、菩提寺の天寧寺の墓地の敷地内にあります。興味深いのは、母「室町殿」とお墓が隣り合わせということで、室町殿は、金森可重の正室で父は、郡上の遠藤慶隆の娘で息子の重近(宗和)が廃嫡された時に、夫の可重と離婚してしまいます。離婚の後、室町殿は息子の宗和とともに京都に移り住みました。おそらく、京都での生計は、宗和が母を養っていったと思いますが、宗和は、この母を一生大切にしました。室町殿は慶安4年(1651)に京都にて亡くなります。

■私見
大寺院というわけではなく、庶民感の溢れるお寺ですが、境内も手入れが行き届いてあり清潔感もあり、金森宗和の墓所があると思うと、感慨深い場所です。また天寧寺には非公開ですが、宗和が宇治の茶の木で掘ったとされる千利休像と宗和の木造が残されています。墓所にお参りをすると宗和が母親想いだったのが、よく感じます。

■アクセス
天寧寺の所在地 京都市北区寺町通鞍馬口下る天寧地下鉄烏丸線「鞍馬口」下車、東へ徒歩約6分

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