素玄寺(金森殉死者の墓所)
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素玄寺(金森殉死者の墓所)

■概要
素玄寺(そげんじ)は、金森可重が、養父長近の菩提を弔うために建立した寺です。寺の名前の由来は長近の法名「金龍院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」からとって素玄寺とされました。また素玄寺の裏山の墓所には、京都へ墓地が移された金森家の墓跡とその後ろには、供養碑が建てられて左右に主君に殉死した家臣の墓石が集められています。元和元年(1615)に没した2代目藩主、金森可重に殉死した森石衛門九朗政吉と山蔵縫殿助宗次と正保4年(1647)に没した金森重頼の九男、重利に殉死した野田源五郎衛門清次のもの、慶安3年(1650)に没した3代目藩主、金森重頼に殉死した平岡三郎兵衛忠勝、遠藤右京頼忠、大野瀬兵衛長矩、西塚三郎左衛門忠明のものと現地案内に記載されています。殉死は、寛文3年(1663)幕府が禁止しました。

■私見
寺の本堂は高山城三ノ丸にあった評定場を移築したものと伝えられており今は存在しない高山城の建築様式を垣間見る貴重な遺構です。この寺は呼んで字のこどく金森長近の法名で長近の菩提寺です。寺内には長近の位牌もあるといいます。また素玄寺境内の裏山には、飛騨では一番の悪役(?)の大原彦四郎の墓があります。

■アクセス
素玄寺の所在地 高山市天性寺町 JR高山駅から東へ、国分寺通~安川通を越えて、徒歩約20分。


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