清泰寺(金森長光の墓所)
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清泰寺(金森長光の墓所)

■概要
清泰寺(せいたいじ)は、美濃上有知における金森氏の菩提寺で、美濃市においては随一の由緒ある立派なお寺です。美濃市において臨済宗妙心寺派の大寺として末寺を多く持つ有力寺院のひとつにです。寺は、長近が美濃上有知を拝領した時、佐藤氏の菩提寺だった以安寺を廃寺として新たに、ここを金森氏の菩提寺と定め小倉山城の隣に建立しました。そのため清泰寺は、金森氏と佐藤氏の菩提寺でもあります。墓所には、金森長光の墓と前領主の佐藤氏の初代、清信の二代、秀方の墓があります。金森五郎八長光は、長近の晩年に久昌院との間に慶長11年(1606)に生まれた子です。金森家は関ヶ原の戦いの後に戦功で旧佐藤家の領地の上有知一万二千石を加増され六万石余の大名となりましたが、新領地を与えられたすぐ後に生まれたため長近は本領の飛騨を可重に与え、上有知は幼い長光に与えました。長光本人は、まだ幼いため長近の死後は、上有知に移った家臣団が補佐して政務を行なっていましたが、長光は慶長16年(1611)にわずか六歳で亡くなってしまい、跡取りがいないため上有知は幕府に没収されてしまいます。

■私見
寺の山門や唐門、信長塀ぽい土壁が立派なお寺で、寺内には、なぜか権現さまとなった金森長近を祀る「金森大権現」の社と幼くしてなくなった金森長光と旧領主の佐藤清信、佐藤秀方の墓と美濃上有知の代官の墓があります。清泰寺内の書院の庭園は、宗和好みの庭園で苔と石の調和が見事です。

■アクセス
清泰寺の所在地 岐阜県美濃市殿町 国道156線沿いから少し中に入る。目標物、清泰保育園


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