小倉山城
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小倉山城

■概要
小倉山城は、関ケ原の合戦の功績により、慶長10年(1605)に改易となった佐藤方政の旧領地、上有知を徳川家康から賜って築城した城です。金森氏在住期間が、大野や高山と異なり極めて短期間ですが長近が隠居の地として過ごした最後の城です。長近は佐藤氏の居城であった山城、鉱尾山城を廃城として尾崎丸山の地に京都の嵐山にある小倉山にちなんで小倉山城と名付けました。城は長近没後、実子の長光が2万石で拝領して飛騨の金森家と家が別れましたが長光が幼くして亡くなったために、小倉山城と上有知の地を家康に没収されて美濃市の金森家は断絶します。その後、徳川尾張藩領となり代官所がおかれ小倉山城は、廃城となりました。

■私見
小倉山城は、築城期間も高山城が10年以上かかったのに対し短期間で築城しています。城は、山の傾斜地を切り開いた2段の曲輪を中心とした構成で上段に本丸があり下段に二之丸その西側に三之丸があったと思わます。下段から上段に至る石垣は現在も残されており、その様子を想像することはできます。なかなか巨石を巧みに利用した野面積の石垣です。小倉山の背面は絶壁と長良川、東西は深い谷と平山城の構築には、最適な場所です。本丸の居館は「小倉庄館」として本丸には隅櫓があり隅櫓には時鐘がありました。現在もその時鐘は現存しており、揖斐川町松林寺に小倉山城唯一の遺構として残っています。また詰城にあたる山頂には、明確な遺構は見当たらず削平地が数箇所あるのみで、山の下にある平城という印象を受けます。城の縄張り・構成ず、但馬出石城や播磨龍野城によく似ています。

■アクセス
小倉山城の所在地  岐阜県美濃市美濃町 
国道156号、美濃市に入ったら小倉公園を目標に進みます。小倉公園が城跡で二の丸が駐車場となっております。


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