二条御所
■概要
二条御所は、天正4年(1576)に、足利義昭の二条城を廃して、織田信長の京屋敷と造られたものです。後に、信長はこの屋敷を誠仁親王に譲り、以後、二条御所または下御所と呼ばれました。天正10年(1582)に本能寺の変が起こると、信長が宿泊する本能寺が明智光秀の軍勢に包囲された際、妙覚寺に宿泊していた嫡男、織田信忠は、二条御所に入り、明智勢と戦い自害して御所も焼失しました。織田信忠の近似だった金森家の嫡男、金森忠次郎長則も二条御所に明智軍に攻めたてられ防戦しましたが、主君の信忠とともに19歳の若さで討死しました。
■私見
本能寺の変とは、織田家に関わらず家臣団の一族も戦死してしまうという、金森家にとっても痛恨の事件だったと思います。現在は、京都の中枢で市街化しており面影は、ありませんが、洛中洛外図の絵図や発掘調査で、御所の門は、枡型で土塁もあり、ある程度の防御機能を備えていた施設だったらしいです。
■アクセス
二条御所の所在地 京都市中京区烏丸御池 各線「烏丸御池駅」から徒歩5分。目標物、京都国際マンガミュージアム前 市バス 大徳寺前下車 徒歩約10分