長屋氏屋敷畑
■概要
長屋氏屋敷跡は、太平記ともゆかりが深い史蹟で垂井の長者であった長屋氏の屋敷跡です。また足利尊氏の宿舎として利用されたこともあります。また、北朝の御光厳天皇が南朝に京都を奪われた際、この屋敷を仮御所としました。長屋氏は土岐家の傘下のもと繁栄しましたが、船田合戦をへて次第に没落していき斎藤道三に攻められ主流は、滅亡しますが、諸流の板取田口城の長屋景重は、子の可重を金森の養子に入れて金森氏を継いでいます。
■私見
金森可重がここで生まれたわけではありませんが、一族の長屋氏が最盛期の時に構えた居館跡です。史実かどうか微妙ですが、高橋紀比呂氏の筆「金森六代記」では、長近の父の大畑定近は、近江金森へ移住する前に一時ここに滞在して長屋氏のお世話になったとかかれています。
■アクセス
長屋氏屋敷の所在地 岐阜県垂井町垂井 JR東海道本線垂井駅下車徒歩10分