飛騨国分寺
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飛騨国分寺

■概要
飛騨国分寺は奈良時代に聖武天皇が各国に造らせたもので、このお寺が飛騨の国の律令政治の象徴のお寺です。この場所にあるとということは、昔から高山盆地が飛騨の中心たることを証明しています。奈良時代は、かなり広大な面積を誇っており七重塔が建っていたようですが、現在は駅前の国分寺通りの空間にひっそり残っています。金森氏が飛騨拝領の後の、天正15年(1587)に長近によって再建され元和元年(1615)には可重が三重塔を再建しました。現在の塔は寛政3年(1791)に大風で倒壊したものを文政4年(1821)に再建したものです。

■私見
金森氏が三木の松倉城を攻める際に損傷したと寺の案内には書かれていますが、はたしてどのように損傷したのだろうか。一説には長近の本陣だった鮎崎城から松倉山を見る際、視界をさまたげたため壊したという説もありますが、そんな理由とは思えません。また寺の境内にある大銀杏は、創建の時期からあり当事、七重塔を建てた大工が自分の娘を殺して埋めて銀杏の木を植えたという悲話が残っており根元が乳房に似ていることから母乳の出の悪い人の信仰を集め銀杏には石仏がおいてあります。


■アクセス
飛騨国分寺の所在地 高山市総和町1丁目 JR高山駅から東へ徒歩約5分


Kanamorisennki