金森町
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金森町

■概要
金森町(かねがもり)は、金森氏のルーツといえるべき重要な場所です。なぜなら金森氏がこの地名をもらって苗字としたからです。そんな金森町の歴史は古く、南近江の一向宗の拠点ですが、堀で囲まれた堅固な城砦都市でした。また志那街道を通す環濠都市で寺内町を形成していました。本願寺蓮如も一時、当地に隠棲した場所です。信長公記にも記載されていますが、織田信長に反目していわいる金森合戦という戦いで抵抗しましたが、元亀2年(1571)に信長に降伏してその後、一揆は沈静化して信長権力に組み込まれました。

■私見
当地の町内は、現在も水路が入り組み、かっての水堀で囲まれた環濠都市を彷彿させます。また町割りもかってのままのようで、狭く入り組んでいます。定本金森歴代記には、長近の父、大畑定近は、戦乱の美濃を離れてこの地で商人に転身して伊吹山に産する薬草などの販売を手がけ再起に備えたと書かれています。また金森は善立寺を中心に一向宗によって武装されていたので、定近一党は善立寺の警護・護衛などのをする地位だったかもしれません。金森長近は多感な少年時代を当地で過ごし、天文10年(1541)、18歳になるまで金森にいたようです。宗教弾圧を激しく行った主君、信長と一戦を外し、極めて融和的で、当地での生活は、のちの長近の宗教政策に大きな影響を与えたと言っても過言ではありません。金森町在住の方がご親切に「金森町史」と「寺内町金森の伝承行事」という本を郵送して頂いたので参考にさせて頂きました。

■アクセス
金森町の所在地 滋賀県守山市金森町 JR守山駅から徒歩25分。県道42号線、交差点「金森町」。金森町中心付近は、大変狭いので徒歩で訪れることをお勧めします。


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