■概要
金森家が江戸時代に高山から国替となった上山城(かみのやまじょう)は、戦国期に最上氏の庶流上山氏が築いた城が始まりとされます。一時、伊達氏に攻め落とされたが、再度上山氏の一族である武衛氏が奪還して現在見られる上山城の縄張りに改修しました。戦国末期には最上氏と対立するようになり、最上氏の策略により武衛氏は滅亡、最上氏の支配下になりました。しかし、江戸初期に最上氏が改易されると、能見松平氏が入城して上山藩が成立しました。その後、能見松平家2代(4万石)、蒲生家1代(4万石)、土岐家2代(2.5万石、後3.5万石)、金森家1代(3.8万石)と目まぐるしく藩主が入れ替わった後、藤井松平家が封じられて幕末まで存続しました。金森氏の時代においては、前領主の土岐家が越前に国替となった時に城は破却されており、金森頼時が、元禄5年(1692)飛騨高山から国替となって移動した際に居館を新築しなければいけなくなり大変な苦労と出費だったと思われます。金森頼時の統治はわずか5年で、元禄10年(1697)に美濃郡上八幡に転封を命じられました。
■私見
金森家の家級は、城主格で、城主格ながらも飛騨一国を治めていた国持ち大名でしたが、徳川綱吉治世の国替は、転封先の城がないという城主格から無城大名に格下げのような扱いです。上山という地域は、蔵王連峰が乗鞍岳のように景色に似ていて土地も高山盆地よりも広い感じなので、石高的に同じですし、それほど不利な条件とは思いませんが、引っ越したら城が取り壊されてないというのは、かなり悪質な幕府も嫌がらせを感じられます。転封の移動は、金森家の家臣親族を含めると4〜5千人の移動で、上山での家臣の屋敷の手配と藩主館の建築など、経済的にもかなり痛手でまた心理的にも家臣団の動揺はあったと思います。現在の上山城の資料館には、城の絵図もありますが、土岐時代には天守相当の御三階櫓と御殿と虎口石垣と城壁があり奥羽の名城にふさわしい姿ですが、金森時代の絵図では、城は取り壊され石垣も撤去されており単なる城跡となっているのがのがわかります。
■アクセス
上山城の所在地 山形県上山市元城内 国道13号線約30分。駐車場は、無料あり。JR奥羽本線、かみのやま温泉駅下車、徒歩15分。
二の丸にある模擬天守
模擬天守アップ
本丸側から見る模擬天守
月岡公園側から見た模擬天守
本丸土塁
現存する本丸の水掘
本丸にある月岡神社
移築されて残っている城内にあった籾倉(もみぐら)
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