金森出雲町
[金森長近と一族][戦場][関連史跡][飛騨の城][時代祭とブログ]

金森出雲町

■概要
京都市伏見区の金森出雲という地名の場所は豊臣政権下で金森家の伏見邸があった場所で、地名として現在に面影を残しています。伏見は、伏見城の築城の際に豊臣政権下の大名が屋敷を構え多くの武将の名前に由来する地名が残っています。金森家は、近鉄「桃山御陵」の駅の東側の「桃山町金森出雲」の行政区画に屋敷があり、昭和60年の発掘調査で門跡などの遺構が検出されています。地名の金森出雲の由来は、従五位下出雲守の官位を朝廷から頂いているのは二代目、可重で、地名の由来となったのは、金森可重となります。

■私見
金森出雲の地名があるのは、「桃山町金森出雲」「深草大亀谷金森出雲」2つあり、伏見においては金森家は屋敷を二つ所有していた、もしくは豊臣・徳川時代によって場所が異なった可能性があります。このどちらかが、金森長近が没した場所となります。伏見城は、豊臣秀吉により文禄3年(1592)、慶長2年(1597)と2度、慶長6年(1601)徳川家康により1度と築かれているのでその都度、町割も変化しております。桃山町金森出雲の場所は、徳川家康によって関ヶ原の戦いの前哨戦で焼失した慶長6年(1601)に伏見城の再建の町割です。

■アクセス
金森出雲の2つ所在地 京都市伏見区桃山町金森出雲 近鉄鉄 桃山御陵:徒歩約10分  京都市伏見区深草大亀谷金森出雲 京阪電鉄 墨染:徒歩約10分


桃山町金森出雲の標識

桃山町金森出雲

桃山町金森出雲の標識

金森出雲児童公園

復元の伏見桃山城


戻る


Kanamorisennki