法華寺(加藤光正の墓所)
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法華寺(加藤光正の墓所)

■概要
法華寺は、金森重頼が飛騨で配流となった肥後加藤氏の嫡男、加藤光正の菩提を弔うために建立した寺です。法華寺の背後の山の墓地には、立派な加藤光正の墓所があります。加藤光正は熊本藩主、加藤忠広の嫡子で、清正の孫にあたります。寛永9年(1632)加藤忠広は参府の途中、品川で入府をさし止められた。ついで肥後一国を没収され出羽庄内の酒井忠勝に預けられ、光正は飛騨高山に流されました。高山藩主金森重頼に預けられた光正は、生涯月俸百口を賜り、天性寺に閉居して、寛永10年(1633)に病死してしまいました。享年19歳の若さで金森重頼は、哀れに思い法華寺を建立して手厚く供養しました。

■私見
徳川家光がちょうど将軍になったばかりの時期で将軍の力を見せつける為の見せしめの感もあります。この寺だけは、東山寺院の中で境内に池があります。寺の背後の山には墓地があり墓地内には立派な加藤光正の墓があります。また法華寺の下の江名子川に架かる橋の名は「桔梗橋」と呼ばれていますが名の由来は、勿論、加藤光正の紋からきています。

■アクセス
法華寺の所在地 高山市天性寺町 JR高山駅から東へ、国分寺通~安川通を越えて、徒歩約20分。


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