本能寺
■概要
本能寺といえば織田信長の死んだ場所としてあまりにも有名で信長ファンには必見の史蹟です。現在の本能寺は豊臣秀吉によって天正15年(1542)に現在の場所に移されています。寺の建物の多くは鉄筋コンクリートですが、昭和期に再建された木造の本堂は室町期の建築物の雰囲気を色濃く残されています。寺の本堂の後側には、織田信長の供養塔の「信長廟」があり、なかなかの貫録があり廟の隣には信長とともに殉死した武将・小姓たちも弔われています。
■私見
寺の創建は応永22年(1415)に日隆上人によって創建されて当初は本応寺と呼ばれていたようです。寺は法華宗のお寺ですが度重なる戦火で消失と場所の移転がおこなわれ現在の場所に落ち着いています 。本能寺の変で殉死した人の供養碑には、金森長近の嫡男、忠次朗長則の名前もあります。また金森義入という名もありますが、この人は金森氏の一族だったのでしょうか。あるいは長則と同一人物だという説もあります。また「定本金森歴代記」には阿弥陀寺の長則の位牌は「松山貞峰」で義入の位牌は「幼岳常勲」と異なって別々となっており長則の弟、もしくは長近の兄弟、政近・政秀の子供の可能性もあります。いずれにしろ金森家にとって嫡男を失うことは、痛恨だった思います。
■アクセス
本能寺の所在地 京都市中京区寺町通御池下る本能寺前町522 地下鉄東西線「京都市役所前」:徒歩約5分