
保木山城
■概要
金森氏築城で保木山城(ほぎやま)は濃飛の国境、馬瀬川と益田川を眼下に望む標高325メートルの保木山の頂に築かれました。尾根ずたい両河川の国境まで道は築かれ川石を積み上げ外敵に備えました。しかし戦国時代の終わりとともに築城は中止となり現在の下原小学校に下原館を築き未完の城となってしまいました。城の案内には城主は山下氏政となっていましたが氏政は、内ヶ島氏の家老で後に尾張藩に仕官して名古屋遷都を提案した山下氏勝の子で金森宗和の娘を妻にしております。氏政は失脚して下原の地で隠棲したとされています。
■私見
城の主郭周辺には、石が散乱していますが、見た目、後世ぽく、かなり改変されている印象を受けました。城は、街道を押さえる上で必然の立地の場所といえます。尚、下原の金森の絵図には、天守らしきものが描かれていますが、実際にはありません。「飛騨中世城郭図面集」には、同じ山ですが別の場所が掲載されていて驚きました。
■アクセス
保木山城の所在地 岐阜県下呂市金山町下原 アクセス 場所は下原小学校を旧国道41号線を挟んで北の山でガードレール沿いに城の碑があり、そこから段段畑をぬけ城の登口があります。駐車場はありません。