手取川の戦い
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手取川の戦い

■概要
上杉謙信は天正4年(1576)に越中から能登七尾城へと進軍して畠山氏の居城、七尾城を取り囲みました。堅牢な七尾城は、持ち堪えていましたが、畠山氏、重鎮の長続連は、織田信長に後詰を要請、信長は、柴田勝家を総大将にして出陣しますが、後詰の七尾城もついに陥落してしまい、浮き足だった織田軍は、夜中、撤退を決意します。しかし手取川を渡る最中に、追撃する上杉謙信の攻撃を受け多数の溺死者を出し命からがら越前まで撤退しました。

■合戦と金森長近について
「上杉に逢うては織田も名取川はねる謙信 逃ぐるとぶ長」と読まれています。織田軍大敗の戦いですが、「飛騨乱治記」では「謙信、加賀へ。信長これを聞き金森五郎八、原彦四郎をさしむける。両軍加賀で対陣」と記載されているように、金森長近も柴田勝家の与力として参戦しています。命からがら越前まで逃げ帰っています。手取川は、現地に訪れて見た感想は、想像していたよりも広く雄大で、ここで溺れたら助からないなぁと思いました。




呉竹文庫にある手取川の戦いの案内と碑

手取川

手取川

戦いのキーとなった能登七尾城

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