長篠・設楽原の戦い
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長篠・設楽原の戦い

■概要
織田天正3年(1575)に、長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万5000人と武田勝頼軍1万5000人との間で行われた戦いです。徳川氏の信濃国方面の前線であった長篠城が武田軍に包囲され陥落寸前となったため、徳川家康が織田軍の援軍を要請。織田信長自ら出陣して長篠城の後詰に布陣、設楽原にて織田軍は、鉄砲を大量に導入して織田・徳川の勝利に終わった戦いです。

■合戦と金森長近について
金森長近は、合戦当初、従軍して設楽原に布陣するもの織田信長に直々に鳶ケ巣山砦の奇襲の命令を受けて別作戦を実行中で、本戦には参加していません。鳶ケ巣山砦奇襲戦は、設楽原の戦いが始まる前哨戦というべき大事な戦いで、詳しくは、鳶ケ巣山砦奇襲戦をご覧ください。私的にもここで火縄銃演武をする機会も多いので、私なりに、この長篠・設楽原の戦いは思うところ沢山あります。



長篠城の遠景

馬防柵での火縄銃演武のある設楽原決戦場まつり

設楽原決戦場まつり

設楽原決戦場まつり


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