大坂冬の陣
[金森長近と一族][戦場][関連史跡][飛騨の城][時代祭とブログ]

大坂冬の陣

■概要
大坂の陣は、慶長19年(1614)に起った戦国時代の最後の戦いです。すでに金森長近も亡くなっており、多くの武将も二代目武将が多いのが特徴です。この戦において、豊臣方は、大坂城で篭城して真田丸を築いた真田幸村をはじめとして善戦しましたが、講和条約が結ばれ、一時膠着してそのまま大坂夏の陣に進むことになります。

■合戦と金森可重について
金森可重とその実子達は徳川方として参戦しましたが、親族で関ヶ原の戦いにて西軍につき所領を没収された元上有知・鉈尾山城主、佐藤方政が大坂方として参戦したと伝えられています。可重は伊達政宗の近辺に布陣して政宗と多数の書状を交わして交流を深めていたようです。伊達政宗と可重の書状は、陣替や小屋かけことなど案外のんぴりとした雰囲気の内容です。飛騨編年史要には「十二月四日。可重、大坂玉造口にて城将真田幸村と戦ひ、自ら騎馬の敵二人を切る」と「寛政重修譜」と「金森靱負由緒書」のものによって書かれていますが、御大将自ら前線に赴き斬り合いをしたのなら極めて軽率な行為で大将らしからぬ行為です。ゆえに後世に多少の戦闘はあったかもしれませんが、誇張して書かれた可能性が高いですね。また金森軍は徳川方の真田丸の攻防に参加しておらず、大坂冬の陣の金森軍は局地的な小規模な小競り合いはあったかもしれませんが、損害は少なく布陣こそすれ、たいした戦闘はしていなかったと思われます。


Kanamorisennki