小田原北条攻め
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小田原北条攻め

■概要
豊臣秀吉は、天正18年(1590)未だに従わない、北条氏を討伐するために、20万もの大兵力をもって本拠地、小田原城攻めを発令しました。豊臣秀吉の「天下統一」の最終仕上げに当たる戦いとなります。豊臣軍は大きく2つの軍勢で構成されていた。東海道を進む豊臣本隊・徳川勢と、東山道から進む前田利家を始めとする北国勢を中心とする北方隊です。結果、小田原城が町ごと囲まれた総構えの名城でも、後詰めもない上に、まわりを20万以上の大軍に埋め尽くされては、到底、勝目はなく、支城も次々に落とされ、ついに氏政・氏直親子は降伏開城して北条家は滅亡します。

■合戦と金森長近について
金森長近も小田原攻めに従軍しましたが、飛騨を拝領しており、前田利家・上杉景勝を始めとする北国勢として参加してもよさそうですが、秀吉本体の軍として従軍しています。戦いは、秀吉の大兵力の前になすすべのない北条軍。金森長近もほとんどついて来ただけで、戦っていません。小田原城を囲む金森の陣地もかなり後方に位置していて、楽な戦いだったと思います。「大野郡史」には「長近父子、兵七百人を率いて小田原陣に従軍す」と記載されており、「金森家譜」によると城が落城の際に、秀吉が長近父子を召しだし褒美を賜り、家来の内、十四人にお目見をつけて言葉を賜ったといかにも秀吉らしい逸話があります。


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