伊勢長島攻め
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伊勢長島攻め

■概要
伊勢長島の一向衆は、中心として、願証寺があり、寺は蓮如の子の蓮淳が長島杉江に創建して、石山本願寺の一向宗の拠点となりました。長島一向宗は、織田信長に反抗して兵をあげて信長の弟・織田信興を自刃に追い込んだり美濃三人衆の氏家朴全が討死するなど、散々苦しみ2回の討伐戦は失敗しましたが、長年にわたり、海上封鎖と兵糧攻めを行って天正2年(1574)の3回目の長島攻めにて、ようやく鎮圧され2万人ともいえる門徒はことこどく皆殺しになりました。

■合戦と金森長近について
「飛騨編年史要」「大野郡史」には、永禄11年(1568)「長近、尾州長島の軍に従う」、天正2年(1574)「長近、信長の長島区徒征伐の軍に従う」と記載されているよう、3回の長島攻めに2回、伊勢長島に布陣しています。現在の願証寺は土地開発で水没しておりますが、現在の地形からでも攻めにくさが充分とわかります。


現在の願証寺

一向衆殉教の供養碑

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