飛騨攻め 向牧戸攻城戦
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飛騨攻め 向牧戸攻城戦

■概要
飛騨攻略の際に、大野城を出た金森長近は、越前石徹白村へ入り、白山中居神社へ行き戦勝祈願してから軍を白川尾上郷に越山して進んで荘川へ進み恭順しない内ヶ島氏の支城、向牧戸城を囲みました。こうして金森軍は向牧戸城を攻めましたが、野久俣川と庄川の合流地点にあり攻めにくい向牧戸城を攻略することができず、金森軍は苦戦したといわれております。力押しでは難しいと考えた長近は、一旦兵を撤退させ郡上の遠藤慶降の援軍を受けて合流し再度、向牧戸城を攻撃しました。夜になり間者を使って混乱に乗じて火を放つという作戦をとり、これが見事に成功して城に火が上がり一気に攻め立て城内の老若男女数百人を皆殺しにしました。こうして苦戦の末、向牧戸城は落城しました。

■合戦と金森長近について
ここの向牧戸城主の川尻氏信は防戦したという記録がなく、子の川尻勘平が金森家の家臣に取り立てられていることから川尻氏は内ヶ島氏の中で親金森派だったのがわかります。では誰がこの城に立て篭もったのか?同じく内ヶ島氏の家老で尾上氏綱は、金森軍と戦ったようですが書物によって死亡時期・場所が異なり向牧戸城に篭城したかは信憑性に乏しい。個人的には向牧戸城の守備兵は、粘り強い防戦をしていますし、内ヶ島氏を慕うもしくは、利害を失うため決起した一揆軍ではないかと推測します。各地で転戦した歴戦の金森軍を苦戦させ援軍要請までさせた向牧戸城の守備兵は、注目に値する。尚、郡上の遠藤慶隆の弟の慶直が戦死したらしいです。


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