填島城攻城戦
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填島城攻城戦

■概要
元亀4年(1573)、織田信長と対立して兵を挙げた室町幕府第15代将軍、足利義昭は、家臣の真木島照光を頼り、二条城を退去して宇治の槙島城(まきしま)に籠りました。追撃してきた軍勢の羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家らは、川下の五ヶ庄より、また稲葉一鉄らは、平等院周辺よりと二面攻撃をして、川を渡ってきた織田軍の物量にかなわず落城。義昭は、河内国へと落ち延ました。これにより、城は開城するとともに室町幕府は、この地で滅びました。

■合戦と金森長近について
槙島城は、河川工事と宅地化で当時の河川の地形を利用した城の面影はありません。金森長近も飛騨編年史要「長近、真木嶋の軍に従う」、金森家譜「信長の宇治真木嶋城での戦いで義昭は、逃げ去り信長は、即日摂津に向かい征伐した。長近は、これに従った。」と記載されているように、槙島城の攻城に参陣しています。




槙島城址碑

槙島城のあった近辺

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