京都上洛作戦
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京都上洛作戦

■概要
永禄11年(1563)織田信長は、足利義昭を奉じて上洛作戦を開始。しかし南近江の守護、六角義賢は、援軍要請を拒絶して織田軍と戦いました。しかし六角氏は大敗を喫して、居城、観音寺城は、落城して甲賀に落ち延び、信長は無事に京都上洛して三好三人衆・松永久秀を降伏させて足利義昭を15代将軍に就任させることに成功して京都は、事実上、織田家の勢力範囲となりました。

■合戦と金森長近について
金森長近も勿論、すべての上洛作戦に参加しています。永禄11年(1568)の初めての上洛の際にも「金森家譜」に「信長が足利義昭を助けるため大兵を発して江州に入ったが、長近はこれに従い観音寺城を攻めた。」とされ「飛騨編年史要」にも「長近、江州の軍に従う」「長近、摂州芥川の軍に従う」と上洛と三好残党の掃討作戦にも参加しています。また元亀元年(1570)、「飛騨編年史要」に「長近、京都にて信長に代り諸公候の訪問に応接す。」と記載されており京都で接待の任も行っており信長の信頼が厚かったということがわかります。また同年、信長の岐阜帰城の際には、織田信長の影武者を演じたとも伝えられる記録も残っています。「大野郡史」には「長近、信長と称して江州を通過する。」また「金森家譜」にも「長近、信長の岐阜帰城に従い江州千種越えにて杉谷善住坊が信長狙撃の時、身を似てこれに代わると伝う。」と記載されているように、真相は定かではありませんが有名な杉谷善住坊の狙撃は、長近が影武者となって防いだとされているものもあります。


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