伊勢・北畠攻め
[金森長近と一族][戦場][関連史跡][飛騨の城][時代祭とブログ]

伊勢・北畠攻め

■概要
織田信長の伊勢侵攻は段階的で滝川一益)が先鋒を勤め、桑名城を占拠して混在する小国人を攻めたり降したりしていました。 その後、神戸氏、長野氏、木造氏を降し北伊勢をほぼ勢力化におくと残る南伊勢の永禄12(1569)北畠具教を攻めました。 北畠具教は徹底抗戦の構えで織田軍と戦いました。織田軍は、阿坂城を落城させて主城の大河内城を攻めましたが、城の攻防は熾烈を極め最終的に信長の次男信雄を北畠氏の養子にする条件で和議が成立しましたが、その後、北畠具教は信長の命によって暗殺され事実上、伊勢の国司の名家北畠氏は断絶します。

■合戦と金森長近について
金森近長近に関しては、あまり伊勢方面との合戦には関わりが少ないのですが、滝川一益が主力だったため北伊勢の侵攻に関しては、参加していなかったかもしれません。しかし北畠氏の本拠地の南伊勢には織田の総力戦に近く、戦いに参陣したようで「飛騨編年史要」によると「長近、勢州浅香城の軍に従う」と記載されいます。浅香城とは、北畠氏の重臣大宮氏の城、阿坂城のことと思われ、羽柴秀吉が攻めた阿坂城攻めに参加したようです。




長近も攻めた阿坂城

阿坂城の主郭

北畠氏の籠った大河内城
戻る


Kanamorisennki