稲生の戦い(いのう)
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稲生の戦い(いのう)

■概要
弘治2年(1556)、織田信長の弟、織田信行は、織田家の家督を奪うため柴田勝家、林美作らの重鎮ととも計って末森城から挙兵して清州城に迫りました。しかし織田信長は、いち早く名塚に砦を構えて稲生原にて迎え撃ち、自ら先頭に立ち、敵将、林美作に突きかかって討取り、信長軍700人、信行軍1700人と兵力的に劣勢の信長軍が精鋭をもって信行軍に快勝して、尾張統一に大きく踏み出しました。

■合戦と金森長近について
当時、20代後半で金森長近は、戦功は不明ですが、柴田勝家や林道勝らの重鎮が織田信行方についていますが、金森長近は、織田信長軍として参戦しています。また4年後の桶狭間の戦いでは、馬廻りの役割でしたから、稲生の戦いも馬廻りとして参戦したと思われます。





稲生の古戦場の案内

織田信長方の名塚砦

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