飛騨攻略(総括)
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飛騨攻略(総括)

■概要
天正13年(1585)8月、羽柴秀吉は、命に従わない富山城主の佐々成政を討つため、京都を出発しそれにともない同じく佐々成政に同盟して秀吉に従わない飛騨の三木自綱を討伐するため隣国、越前大野の金森長近に飛騨の攻略を命じました。戦いは、北面から金森長近、南面から金森可重の二面作戦で高山盆地を目指し、広瀬城にてあっさり主将、三木自綱を降伏させ、松倉城を激戦にて落城させ三木秀綱は、逃亡して飛騨地方も豊臣政権下に入りました。

■合戦と金森長近について
飛騨攻略は、信長・秀吉とともに幾多のメジャーな大合戦を経験し、死線をこえてきた長近にとっては地方で小競り合い程度の戦をしていた三木氏は敵ではなく金森軍の圧勝にて終わりました。長近は秀吉に功として、越前大野から飛騨に転封になりました。そして高山城を築城して城下町を整理して高山の町を創り上げました。金森軍の進軍ルートは諸説あり細かい所は信憑性に欠ける所もありますが、石徹白~向鷲見~野久俣~向牧戸城と進み、向牧戸城を落城させた後に金森長近が牧戸~森茂~舟原~小鷹利城と進み北側から南進して、金森可重は、牧戸~楢谷~大原~小原~馬瀬郷に入り桜洞城を落城させ北進しました。一説には下原経由もあり。金森家の兵員は、援軍の遠藤慶隆を含めて2000~3000人くらいだと思います。


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