飛騨一揆鎮圧戦
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飛騨一揆鎮圧戦

■概要
金森長近によって飛騨の三木氏は滅亡して金森氏が飛騨を拝領するまでの間は、混沌としていましたが、その間、飛騨の国人には不穏な雰囲気がありました。まずは天正13年(1585)、三木氏に加担しながらも許された一宮三澤(三木国綱)は、一揆勢と加担して一宮の山下城に駐屯していた金森可重の軍を襲いましたが、金森可重の軍に撃退されて一揆勢は四散して一宮三澤は、討ち取られました。その後、三木討伐に従った江馬時政、広瀬宗直、鍋山左近太夫らが、一揆を起こしましたが、これも各個撃破されて鎮圧されました。

■合戦と金森長近について
飛騨に散発的な一揆が無くなるのは、天正14年(1586)、金森氏が正式に飛騨を拝領するまでです。金森氏が飛騨を拝領するまで約1年空白がありその間は、天正大地震もあり飛騨は混沌とします。一揆の原因は、金森氏に対する不満やその後の情勢の不安が原因だと思いますが、封建的知行に抵抗した計画性のない散発的なものであると思います。一宮三澤が首謀者に担がれた「三澤の乱」では、大幢寺が戦火にやって焼けるなど被害もでております。金森可重は、一揆に加担した農民の罪は不問にしたため、四散した農民は戻ってきたとされています。一揆に加担した江馬・鍋山は自害するも広瀬宗直は飛騨を落ち延び、後に彦根の井伊家に仕官しました。


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