金森頼業(かなもりよりなお)
[金森長近と一族][戦場][関連史跡][飛騨の城][時代祭とブログ]

金森頼業(かなもりよりなお)

■早去が惜しまれる五代目
金森頼業は慶安8年(1648)に生まれました。幼名は長近と同じ五郎八で父頼直が亡くなると家督を継ぎました。官位は、従五位下飛騨守。 頼業は文学青年で特に連歌に才能がありました。肖像画を見ると小早川秀秋のように弱々しい雰囲気の画で病弱そうな雰囲気ですが、実際はそうでもなく飛騨・越中の国境論争の解決や鉱山業の復興などの諸問題・諸制度の抜本的改革に乗り出そうとした矢先に24歳の若さで亡くなってしまい、藩主としての能力は未知数の人物で評価するには難しい人物です。

■飛越国境論争
頼業の時代に、幕府に訴えていた越中前田家との飛越国境論争には頼業の死後、まもなく金森藩が勝訴しておりこれだけは、実績としてあげられます。能力的には未知数な人物です。しかしながら、頼業の死後、金森左京家の金森左京近供らが幼い頼時を補佐して頼業の政策を継続していき当時の高山藩の治世は、比較的安定したものでした。

戻る

[日本100名城] [参考書籍] [リンク] [メール] [作者紹介]