金森頼直(かなもりよりなお)
[金森長近と一族][戦場][関連史跡][飛騨の城][時代祭とブログ]

金森頼直(かなもりよりおな)

■江戸安定期の四代目
金森頼直は、三代藩主重頼の嫡男で元和5年(1619)に生まれ、重頼の死後に家督を継ぎました。官位は、従五位下長門守。頼直は元来、病弱だったため、有馬の湯に病気療養に行くなど、菩提寺の大隆寺を建立したり、もっぱら寺社の復興などに熱心でした。頼直自身も藩政を行なうのが困難と思っていたのかは不明ですが、幕府に隠居を願い出ましたが許可がおりず剃髪しました。その後、寛文4年(1665)江戸の藩邸にて47歳で亡くなりました。

■病弱だったのか?
当時の将軍は、四代目、徳川家綱で同じく四代目で太平の世で平和な時代の為、おとなしいというか二人とも同じ雰囲気を感じます。私が思うには頼直は、父重頼ほどの個性も破棄も感じられません。それが悪いわけではありませんが、藩主としては不も可なく人物像がつかみにくい人物です。逸話としては、頼直が藩主だった頃、明暦3年(1657)江戸に大火が起こり江戸城を始め、江戸の町が燃えましたが江戸桜田の金森家の藩邸も燃えてしまいました。その時、頼直の愛馬、「山桜」は主君を乗せ火炎に包まれた中を潜り抜け頼直は火災から難を逃れることができとされています。また頼直は、火災の見舞いとして幕府に檜、一千本を寄進しています。


戻る

[日本100名城] [参考書籍] [リンク] [メール] [作者紹介]