金森重次(かなもりしげつぐ)
■人物
金森重次は、二代目藩主、金森可重の次男として生まれました。官位は従五位下甲斐守。母は嫡男、重近と同じ遠藤慶隆の娘の室町殿です。重次は、慶長14年(1609)に14歳で徳川秀忠の近侍として江戸に趣いており、母違いの三男、重頼は徳川家康の駿府で近侍として仕えており、兄弟とも将軍家に体よく人質になっていました。従って、勘当された兄の嫡男の重近こと「金森宗和」と異なり、徳川体制には馴染んでおり、金森家の跡取りの最有力候補でした。大坂の陣においては秀忠の近侍として参陣しておりましたが、大坂の陣の後、戦後処理の最中に突如、父可重が急逝してしまいました。本来なら順当にいけば3代目藩主となるべきはずですが、家康の近侍で家康からの評判もよく、後押しもあった重頼が家督を継ぐこととなりました。その後、病で寛永2年(1625)に32歳の生涯を閉じます。
私見
家督相続では、腹違いの弟が家督を継ぎ、さぞかし重次は落胆したと思います。重次は徳川家から石高は不明ですが禄を与えられましたが、重次の死後、子の重直が家を継ぎましたが、これまた若くして亡くなり、重次の系統は途絶えました。
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