佐奈姫(さなひめ)
■人物
佐奈姫は、本願寺十三世宣如の娘で、金森長近が庇護して飛騨において宗教上、権威だった照蓮寺に寛永18年(1641)に9歳の若さの時に嫁ぎ、夫は、金森重頼の息子で照蓮寺の養子となった「金森従純」、のちの照蓮寺宣心です。しかしながら、山深い飛騨の生活は、佐奈姫に馴染むことなく破天荒な夫との間に3人の子供をもうけますが、ソリも合わず三人の娘を育て仏の法灯を守りましたが、京都に療養の為に帰郷して静養中、寛文7年(1667)に35歳の若さで亡くなりました。
私見
粗雑で乱暴な駄目亭主に、献身的な妻の物語で世間では、よくある話です。夫である宣心は、佐奈姫を美化するために狂人にされてしまっていますが、現在においても高山では「さな姫さま」と呼ばれ慕われていることから、人格者だったと思われます。宣心の造営した松下亭跡には、さな姫の供養塔がありますが、参道には、多くの石臼が敷き詰められています。これは、佐奈姫が粉食を好み自ら石臼をひいたという故事にならっています。
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