お福の方(おふくのかた)
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お福の方(おふくのかた)

■人物
長近の正室であった「お福」については不明な点が多く墓さえどこにあるのか定かではありません。お福は三河、松平家の侍女だった可能性が高く幼き頃の徳川家康(竹千代)が織田家の人質となったときに一緒に従卒したと思われます。人質の竹千代の世話をするため三河から尾張に移り住み那古野城もしくは万松寺付近で暮らしていたと思います。当地にて長近と出会い天文18年(1589)で長近が26歳の時に結婚します。その後、竹千代が人質生活を終え駿河の今川へ人質に行くことが決まってもお福は尾張の留まり長近の妻として生活しました。その後、長近との間に嫡男、忠次郎長則を産み、子供は一人と子にはそれほど恵まれませんでした。

私見
高山にはお福の墓、それに伴なう逸話がないため越前大野に入る前、もしくは大野にて亡くなったと思います。長近は長寿でしたが、お福はそれほど長生きはしませんでした。越前大野城の天守横には水が枯れない不思議な池「お福ケ池」があります。池の名称は、長近の正室、お福に由来するものだと思います。

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