金森長則(かなもりながのり)
■人物
金森忠次郎長則は長近の正室、お福との間に永禄7年(1564)に生まれました。元服が過ぎるとすぐに織田信忠の近侍として仕えました。信長の小姓だった森蘭丸と同世代で織田政権の次世代の一角を担う人物でした。しかし不幸にも天正10年(1582)の明智光秀の謀反の本能寺の変にて信忠に従い京都ニ条館に駐留していましたが、明智軍に攻めたてられ防戦しましたが、主君の信忠とともに討死しました。19歳の若さでした。
■私見
本能寺の変で金森家は嫡男と主君を失ってしまい長近もさぞかし動揺したと思います。もし生存していれば、それなりに出世はしただろうと推測されるため誠に残念です。長近は、高山の東山に雲龍寺を建設して長則の菩提を弔いました。現在、長則は、京都、阿弥陀寺と本能寺の信長廟のとなりに同じく戦没した仲間たちと静かに眠っています極めます。