室町殿(むろまちどの)
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室町殿(むろまちどの)

■人物
室町殿は、金森可重の正室で父は、郡上の遠藤慶隆の娘で飛騨編年史要には天正8年(1580)に金森家の養子となった可重の妻となったようです。室町殿という名は京都の室町に住んだいた時の名で本当の名前は不明です。室町殿は金森可重の正室として、嫡男、重近「後の宗和」・重次の二児を産んでいますが、可重は養父長近と異なり側室が沢山いたので、心中おだやかではなかったと思います。室町殿の転機となったのは、大坂の陣の元和元年(1615)に息子の重近が廃嫡されてしまいました。その時に、室町殿は、夫の可重と離婚してしまいます。離婚の後、室町殿は息子の宗和とともに京都に移り住みました。おそらく、京都での生計は、宗和が母を養っていったと思いますが宗和は、この母を一生大切にしました。室町殿は慶安4年(1651)に京都にて亡くなります。

私見
遠藤慶隆の父盛数の娘が「内助の功」で有名な山内一豊の妻ならば、室町殿は血縁者で一豊の妻がおばさんとなります。室町殿と言う名は、京都の室町に住んでいたため、そう呼ばれていましたが、母性愛が強く宗和の精神に多大な影響を与えた人と思えます。

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