茂住宗貞(もずみそうてい)
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茂住宗貞(もずみそうてい)

■人物
茂住宗貞は、越前の商人で名を糸屋彦次郎といい長近の越前大野時代に召し上げられ長近の飛騨入封に付き添い、飛騨の鉱山開発をまかせられて、東茂住に屋敷を構えて茂住と和佐保の銀山、森部の金山などの鉱山事業に辣腕を振るい活躍して金森氏の財政に寄与しました。後に、長近から「金森」の姓を賜り金森宗貞とも称されています。長近の死後、屋敷に火をかけて飛騨を退去して越中に逃れ、後に越前敦賀で「打它」姓を名乗り海運業を営み没したとも伝えられています。

私見
いわいるカリスマ山師というべき存在です。当時、山師は、特殊な職業なので重宝されたと思います。飛騨退去の理由は、「向かい通るは銀山お衆か、金がこぼれおちるたもとから神やほとけのまねなるけれど、茂住宗貞のまねゃならぬ」と歌われるように飛騨において鉱山奉行として独占していたので、長近の死後、高山藩主となった金森可重との間で鉱山利益の確執と考えるのが妥当かなと思います。

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