久昌院(きゅうしょういん)
■人物
久昌院は、金森長近の正室お福の方が亡くなった後に室となった女性です。名は「袈裟子」といい出自はよくわかりません。金森長近との間に女子を一人と金森長光を産んでいます。長近亡き後、子供の長光は領地を分地され美濃上有知を相続しますが、幼くして無くなってしまいました。徳川家康は、相続人のいなくなった上有知を金森家から没収しましたが久昌院は、金森家の所領だった河内国金田3千石を化粧地として家康から直々に賜りました。
私見
この人の墓はどこにあるのかよくわかりません。京都大徳寺龍源院が有力か・・・久昌院は、徳川家康自ら領地を賜ったことから、家康に目をかけられていた人物、もしくは出自が立派でそれ相応の扱いをしなければ面目がたたなかったとも考えられます。名は「袈裟子」といい「子」という字がついているので公家の出かもしれません。
戻る