■所在地 岐阜県高山市三福寺町 ■遺構 郭・土塁・竪堀 ■城のタイプ 山城 ■築城者 平時輔・三木氏
■概要
三仏寺城(さんぶつじじょう)は平安時代の末に平時輔によって築かれました。城の歴史は永治元年(1141)から平時輔の初代として判官景高までの平氏5代の飛騨所領の拠点でした。しかし養和元年(1180)の信州から木曾義仲が挙兵して飛騨に攻め入り今井兼平によって落城したとされています。その時の城主、平景綱の娘の「鶴姫」が主将として防戦しましたが、落城して鶴姫以下、自刃して果てました。その後、城は再建され鎌倉時代は地頭の藤原朝高が在城して南北朝時代は、姉小路家をたよって新田義貞の弟の脇屋義助の臣であった畑安高が入城して畑氏は三木氏の配下となり最終的には三木氏の持城となりました。城代には三木直頼の次男、直弘が入城しましたが、永禄七年(1564)に武田信玄の配下の山県昌景が飛騨に攻め入り周辺の寺院・町を焼き払い、直弘は戦うことなく城に火をかけて萩原の桜洞城に逃げ帰り、その後に廃城となりました。
■私見
三仏寺城は、高山城や松倉城が登場する前において高山盆地の主役の城で地名は三福寺町ですが、なぜか城の名前は三仏寺です。現在において三仏寺という寺は存在せず城の麓の田畑の中に「三仏寺廃寺跡」の碑がひっそりとあります。城は、標高660メートルの山頂に築城された飛騨最古の城で主に四箇所の削平地に曲輪が設けられ尾根づたいに連結された細長い縄張りの中世城郭です。平安期から戦国期まで長く使われているため段階的に改修されたと思われ、現在の遺構は、畝状竪堀などは、戦国期の三木時代のものです。
■アクセス
国道156号線沿い、高山方面から、交差点「三福寺」を通り、スーパー「モリー」「東山中学校」の辺で左折して奥に進みます。奥の山が城跡です。付近に駐車場スペースあり。