■所在地 岐阜県高山市西ノ一色町 ■遺構 石垣・郭・堀 ■城のタイプ 山城 ■築城者 三木自綱
■概要
松倉城(まつくらじょう)は三木氏が飛騨をほぼ手中にした後、天正7年(1579)頃に築城された城で当時の飛騨の最先端の城です。砦か城か微妙な城の多い飛騨の中では数少ない立派な城で中世城郭から近世城郭への転換期の城で意義深い城です。また三木氏にとってゆかり深いの桜洞城を支城として高山盆地を中心にして松倉城を本拠として本格的に飛騨を統治しようとする意気込みを感じます。城は長近の飛騨攻略の際、最終決戦場となり金森氏もこの城を攻める時は長近軍と可重軍の総力戦で挑み、城は激戦の末、内通によって本丸部から出火して落城してしまい築城後、わずか7年で廃城となりました。
■私見
飛騨版安土城を彷彿させる算木積みの実に見事な石垣です。松倉城には、天守は存在しなく足助城のような望楼高櫓が本丸部にあったようです。仮に三木が築いた石垣なら、標高800mの松倉山にそびえる高櫓と石垣群は三木氏の力を見せつけるためにも充分な視覚的効果があったでしょう。尚、近年には松倉城の石垣は金森氏の改修の後積みで三木氏のものではないという説が有力です。どうみても織豊系城郭の様相の城ですし金森氏の改修かもしれませんが、高い山城を廃城としている金森長近がこの城を改修する必要があるのかということから疑問は残ります。一度、本格的な発掘調査を望む城址です。松倉城は司馬遼太郎氏の名作「街道をゆく」でも登場しましたが、司馬氏は三木自綱をギャングと酷評しましたが、アルプス山脈が眼下に広がる荘厳なこの城の眺めは感動したようでお褒めの言葉を書かれていました。
■アクセス
国道156号~飛騨の里 飛騨の里の上の道を進みます。本丸搦手まで車で行けます。駐車場あり。