■所在地 岐阜県飛騨市河合町稲越 ■遺構 堀・郭・土塁 ■城のタイプ 山城 ■築城者 姉小路向氏・牛丸氏・三木氏
■概要
小鷹利城(こたかり)は、現地案内板によると築城年代は定かではありません。姉小路氏の庶流向氏(小鷹利氏)累代の居城とも云われるが、それを直接示す史料は残っていない。天正11年(1583)に向家の幼君右近を後見していた牛丸又太郎重親が、逆心を起こして横領を企てた。重臣後藤重元はこれを察知して右近を伴って城を脱し、角川へ逃れたが、重親が差し向けた追っ手に角川村で追いつかれ、重元は防戦して戦死、右近は逃げ延びて母方の縁を頼り常陸の佐竹氏に仕え、向右近宣政と名乗ったという。小鷹利城を横領した牛丸重親は、戦国土豪の仲間入りして争乱の中で一生を終えます。重親の死後、城主・牛丸親綱は、三木自綱・広瀬宗域の連合軍に奇襲され城は落城して、親綱は、越前大野の金森長近の元へ亡命しました。金森長近の飛騨侵攻の際、攻めたてられて城は落城して廃城となりました。
■私見
まずは、山の奥地に、菅谷境という広い湿地帯があるのに驚きます。かって、金森軍に攻められた場所ですが、不思議な空間です。城は、上段から通称、本丸、二の丸、三の丸と大きく階段状に3つの曲輪からなり各曲輪はよく削平されております。また湯峰峠を防衛する城で北西方面には、畝状竪堀がめぐらされててます。三の丸と呼ばれている曲輪は、塁線土塁があり虎口もあります。姉小路向氏、牛丸氏、三木氏と段階的に改修されて畝状竪堀は三木氏の遺構のものと思われます。
■アクセス
県道75号線~湯峰トンネルを抜けて橋本商店の脇の林道を進み右に曲がり、奥に進みます。