■所在地 岐阜県大野郡白川村保木脇 ■遺構 なし ■城のタイプ 不明 ■築城者 内ヶ島為氏
■概要
帰雲城「かえりくも」と言う優れたネーミングを持つ城は飛騨においても謎に包まれた城で埋蔵金伝説などいろいろなロマンを人々に与えてくれます。帰雲城は、内ヶ島氏の本城で不毛といわれた白川郷で金山を所有して足利義政の銀閣寺造営の資金などを寄付して京都中央を驚かせたリッチな一族でした。金森長近の飛騨侵攻に際して時の城主、内ヶ島氏理は、佐々成政の要請で越中にて出兵中で不在の間に三木氏は滅ぼされており、氏理は飛騨に戻ると鍋山城に赴いて金森長近に、許されたといいます。その夜、城内で、領地安堵の喜びもつかの間、天正13年(1586)に起こった天正地震により城は崩壊して一族ことごとく土の中に埋没してしまいました。
■私見
現在の城のあったとされる場所は、内ヶ島氏の領地である荘川・白川村のほぼ中心部に位置しております。城は土に埋没して場所さえわからなくなり崩れた山肌は、その惨状を現在も色濃く残しています。現在の城跡は、はたしてここに本当ここにあったのでしょうか? 城は保木脇の地にあったと思いますが、いささか疑問が残ります。内ヶ島氏の支城である、向牧戸城、荻町城を見るに明らかに山城で、城址碑がある場所なら平城となってしまいます。もしここなら当地には、内ヶ島氏の居館があり詰城は別の場所だったのではないのだろうかと思ったりします。一般的には庄川を基点に右岸説と左岸説がありますが、現在の城址碑は左岸にあります。右岸は、城もしくは城下町をとる空間に乏しく左岸でなんとか城が築ける空間があるため、左岸説が有力といえるところですが、土砂によって右岸の地形が変化したとも考えられ、なんとも言えません。
■アクセス
国道41線沿い。荘川~白川の間の道沿いに案内看板があります。駐車場あり