伊波那谷城
[金森長近と一族][戦場][関連史跡][飛騨の城][時代祭とブログ]

伊波那谷城

■所在地 岐阜県下呂市馬瀬町中切 ■遺構 なし ■城のタイプ 居館 ■築城者 悪源太義平?
■概要
伊波那谷城(いなみなたにじょう)は、水戸光圀の「大日本史」によると武勇に優れ平治の乱に活躍した悪源太義平の遺構とありますが確証はありません。悪源太義平は、平治の乱に敗れた源義朝の子で、父、義朝は再起をはかり尾張に落ち延び、悪源太義平は飛騨に落ち延びたそうです。義平の飛騨における伝承は各地に残り、おそらく本当に飛騨に一時落ち延びたと思われますが、飛騨を転々として最終的に高原郷の吉田左兵衛尉を便り傘松城に落ち着いたようです。よって伊波那谷城は、悪源太義平の築城ではなく現地の土豪の館で一時やっかいになり住んでいた場所ではないかと思われます。

■私見
定本飛騨の城では、伊波那谷城の正確な場所は、よくわかりませんが、馬瀬村中切地区(伊波那谷)にあったと思われます。平安時代末期の周囲に土塁を廻らせた簡素な屋敷だったと思われます。

■アクセス
城の正確な場所がわからないので、馬瀬の中切集落の貴船神社で当時の雰囲気を楽しみましょう。目標物、馬瀬小学校。駐車スペースあり。


Kanamorisennki