飛騨高山城
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飛騨高山城

■概要
高山城は長近が豊臣秀吉の命により三木氏を討伐の後、天正14年(1586)に越前大野から飛騨の国を一国拝領して入り天正16年(1588)に高山城の構築が始まりました。最初、長近は鍋山城を本拠として考えたようで城を改修していましたが、鍋山周辺は交通の便が悪いこと城下町を形成するには拡張性に乏しく狭すぎるので鍋山城を改修途中であきらめ高山外記が築いていた旧天神山城に新城を築くことにして高山城を築きました。長近一代では城は完成することなく、二代目、可重の代に三の丸が完成して三代目、重頼時代に城下町と城が一応の完成を得ました。その後、金森家の居城として約180年機能しましたが6代、頼時の時代に出羽上山に転封となりました。金森氏が去った飛騨は幕府の直轄地となり高山城は金沢藩前田綱紀の在番管理になりましたが、その後破却が決定され再利用できないように徹底的に破壊され、高山城は完全に姿を消しました。

■私見
高山城は、一応、織豊系の悌郭式平山城と定義されていますが、本丸部周辺は山城の感が強いです。「飛騨国中案内」にも日本に五つもないほどの見事な城と絶賛してあります。絶賛するに値するかは難しいところですが、広大な城域を持つ飛騨第1の城というのは間違いありません。現在、「空町」と呼ばれる上級武士が住んでいた地域は、高山城の築城に伴い、山を大規模に削平したもので山自体を改変する大規模な土木工事だったのがわかります。高山外記が築いた旧天神山城は、高山城と本丸の位置が異なることから、高山城は改修ではなく新城だといっても過言ではありません。また高山城の各曲輪の名称で特徴的なのが「屋形-やかた」という呼び方で、本丸屋形、二の丸屋形といった名称は、全国的にも珍しく高山城が城郭建築と少し異なった印象をうけます。本丸屋形には、本丸と連結していた望楼式の三層の天守を設けておりました。城は、加賀前田藩によって徹底的に破却されましたが、高山市内には、素玄寺の本堂、雲龍寺の山門、東山神明神社の絵馬殿、高山陣屋の米蔵、宗猷寺の石垣など移築物が多いのが救いです。

■アクセス
高山陣屋の所在地 岐阜県高山市神明町 国道41号線~高山市内。二の丸公園 駐車場は、二の丸に無料あり。JR高山駅から徒歩30分。


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