船津東町城(神岡城)
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船津東町城(神岡城)

■概要
現在は一般には、神岡城と呼ばれていますが、戦国期にはその名の城は存在しません。本当は、船津東町城もしくは沖野城と呼ばれおり、三井金属鉱業株式会社が神岡鉱山創業100年を記念して造った城です。城は、飛騨に攻め入った武田の将、山県昌景が永禄年間(1558~1569)に縄張りして江馬氏に築かせた城とも伝えられております。武田氏が滅ぶと江馬氏の別館となり沖野城もしくは野尻館と呼ばれて江馬氏の家臣の川上中務亟という人物が在城していました。金森時代は、増島、萩原諏訪、船津の飛騨統治の3つの支城となり家臣の山田小十郎が城代として赴任しましたが、元和の一国一城の際に廃城となり金森家の旅館として機能しましたが、金森転封とともに破却されました。

■私見
城は、神岡の町を一望できる好所にある平山城で選地としては、いい場所だと思います。北側は断崖でほぼ攻めこむことができません。近年の観光化の史跡整備で遺構が非常に解り難いのですが、空堀は、なんとなく残っています。昔は扇状の二重の空堀もあったらしいですが、周辺の道路整備・宅地開発で見事に破壊されています。金森時代には、天守は存在していたか定かではありませんが天守台と呼ばれる低い石垣が残っており、その場所から資料館で展示されている鉄杭などが出土しており望楼式の簡素な天守もしくは、櫓くらいはあったと思われます。


■アクセス
船津東町城(神岡城)の所在地 岐阜県飛騨市神岡町東町 城は神岡中学校に隣接しており、案内も町内各所にあり。目標物、星の駅宙ドーム 無料駐車場はあり。


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