金森頼時(かなもりよりとき)
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金森頼時(かなもりよりとき)

■若い頃は、幕臣のホープの六代目藩主
金森頼時は寛文9年(1669)に生まれました。幼名は萬助といい父の頼業が早くして亡くなったためわずか4歳で家督を継ぐこととなりました。官位は、従五位下出雲守。幼かったため金森左京近供が後見をしました。若い頃の頼時は酒を好み素行が悪かったとされています。一説には家臣の田島藤五郎は頼時を諌めるため切腹したとされています。頼時は元禄2年(1689)に21歳で犬将軍と名高い徳川綱吉の側用人に抜擢されますが、翌年に側用人を罷免となり元禄5年(1692)に出羽上ノ山に転封を命じられます。さらに元禄10年(1697)に美濃郡上八幡に転封となります。郡上での治世は、安定して元文5年(1740)に68歳で亡くなりました。

■歴代屈指の苦労人の藩主
なにげに、側用人の抜擢、上ノ山~郡上と連続の転封、藩主邸焼失による長屋住まいと波乱万丈で苦労人の藩主です。個人的には徳川綱吉に振り回された悲劇の大名とも考えられ、側用人罷免に関しては、柳沢吉保が権勢を牛耳っており、難しい役職で厳しいですが、徳川綱吉を引きつけるだけの容姿とそれなりの物を持っていたと思われる人物です。郡上での治世は、厳しい財政状況の中、安定しており金森家の藩主では、1.2を争う名君だったと思います


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