山下城
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山下城

■所在地 岐阜県高山市一ノ宮町山下 ■遺構 郭 ■城のタイプ 館&山城 ■築城者 三木国綱
■概要
山下城は、天正5年(1577)に一ノ宮の神職家だった三木三沢国綱によって築城されました。国綱は三木良頼と縁組して還俗して土豪となりました。また国綱は、なかなか地元の住民に慕われており、金森長近が飛騨攻略の際に三木氏を滅ぼしましたが、住民の助命嘆願があり長近は、助命を受け入れて娘を人質として許しました。その後、隠居していましたが、再び反旗を翻し一揆を先導して金森可重が守備していた山下城まで進軍しましたが逆に金森軍に蹴散らされ国綱は金森家の家臣、槌打小金に討ち取られてしまい首は鍋山城下にさらされました。その後、山下城は可重によって焼き払われ廃城となりました。

私見
城の形式は詰城と館の構成で2つを合わせて山下城といいます。館跡は夫婦松と呼ばれている松から西に広がって形成されていました。詰城の遺構は、登山途中で断念して確認はできませんが、松倉城への連絡の為の見張台か狼煙台くらいの監視施設があった程度だったと思います。

■アクセス
国道41号~飛騨一の宮駅を左折し線路沿いをそのまま進むと夫婦松に着きます。詰城は、山下上公民館から山に向かって進みます。


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