梨打城
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梨打城

■所在地 岐阜県高山市国府町八日町 ■遺構 堀・郭・土塁 ■城のタイプ 山城 ■築城者 江馬氏

■概要
梨打城(なしうちじょう) は、小島氏の領有する古川盆地を手中に治める為、南下した江馬輝盛が築城した出城です。天正13年(1585)に勃発した飛騨版、関ヶ原の戦いと言うべき、三木自綱・小島時光の連合軍対江馬輝盛が、この城の城下で激しく争いました。これを「八日町橋の戦い」と言います。この戦いの重要度から考えれば、関ヶ原の合戦の大垣城のような役割に相応します。両軍入り乱れて戦い江馬輝盛は不覚にも討ち取られしまい、勢いにのった三木・小島勢によって梨打城も落城してしまい、その後、廃城となります。

■私見
梨打城は、中世色の強い縄張りの城の多い江馬氏の城の中では、土塁を石垣に変えれば、そのまま近世城郭に転用できそうな面白い縄張りの城です。高原郷を治めた江馬氏が進出して南の荒木郷の最前線にある城です。この城の縄張りは、各曲輪の中央に細長く小段があり削平が甘く二段の構成になっているのが特徴です。この段の上には、柵くらいないと簡単に登れそうですし、一時的な陣城のようにも考えられますし、どんな建築物があったのか興味深い。余談ですが矢がつきたら梨を投げたら梨打城と呼ばれていたと聞いたことがあります。

■アクセス
国府町の八日町の梨打橋を渡り山の麓に「菅原神社」という神社があり、そこに案内がありここから登れます。しかし菅原神社からだとほぼ直動となりもすので、もう少し北側へ進んだ所にある「日枝神社」からも登ることができます。そちらの方がなだらかで登りやすい。


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