広瀬城
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広瀬城

■所在地 岐阜県高山市国府町名張 ■遺構 堀・郭・土塁・竪堀 ■城のタイプ 平山城 ■築城者 広瀬利治・三木自綱
■概要
広瀬城は、飛騨において高山城・松倉城に継ぐ推定坪数が3万坪で標高620メートルの山に築かれた3番目に広大な城です。築城時期は室町時代後半、広瀬利治が高堂城を築城しましたが、天然の要害で不便なことから最初に館城として築城されたようです。その後、広瀬宗域もしくは広瀬氏を滅ぼした三木自綱によって整備拡張され現在の遺構を持つ城になりました。

■私見
城を見ると要害堅固ですが、金森長近の飛騨侵攻の際、長近は古川蛤城に本陣を置き、降伏勧告を拒否して城に篭城した三木自綱を果敢に攻めあっさり降伏させました。なんとわずか一日で落城という有様です。付近の土豪クラスの軍勢を迎え撃つには充分な城ですが、織田・豊臣軍下で最新鋭の武装を持ち兵農分離の専属軍隊の金森軍の前には歯が立たなかったと言えます。近年、二の丸付近の木が伐採され桜の木が植えられ遺構が多少破壊されたのが残念ですが、遺構は下の曲輪からほぼ完全に現存しており飛騨の中世城郭では一番見所のあるおすすめの城址です。城の最大の見所は、「畝状堅掘群」で放射線状に掘られた竪堀は圧巻です。城内には城代だった田中筑前守という人物の墓があります。墓石には「永正13年8月13日、田中筑前守御霊神」と刻まれています。そのため広瀬城は田中城とも呼ばれています。

■アクセス
目標物、ラクール飛騨高山店、名張集落の前のバス停があり、そこに縄張図があり、その道を直進して埋蔵文化センターの左手の小道から入ると城址にたどり着きます。


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