畑佐城
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畑佐城

■所在地 岐阜県高山市新宮町城山 ■遺構 郭・堀・旗立石 ■城のタイプ 山城 ■築城者 山田紀伊守
■概要
畑佐城(はたさじょう)は、山田紀伊守によって築城され、京極氏の力が低下していくにつれ三木氏や高山氏や周辺の土豪が自立していく際に、山田氏は、より堅固な城が必要として近隣の山田城から畑佐城に居城を移しました。しかし北進する三木自綱によって城は、落城して山田紀伊守は自刀しました。山田一族は城の麓で処刑され、亡霊となって、がまの姿になって夜な夜な鳴くと伝えられています。

私見
城は「立壁城」とも呼ばれ西側は川上川を水掘りとして岩山の構成で要害ですが、南の新宮神社側は弱点とでも思われ比較的緩やかです。現在の登口は搦手道にあたり、城の中枢まで2本の堀切で防御しています。主郭には、巨大な岩があり旗立台と伝えられています。同じような岩を使用した旗立台が松倉城にもあるのが興味深いです。主郭は、旗立台によって分断されていますが、曲輪ともそれほどの広さもなく城の選地としては、街道に面して要所ですが、城の普請に関しては、こじんまりした印象の城です。また郡上にも同じ名前の城址があるのも実に興味深いです。

■アクセス
国道158線、郡上方面から高山方面に進む、交差点「内垣内」、右折した所が登口です。付近には駐車スペースはあり。


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